黙想するとは

ここでは聖書を読み、聖書テキストに心を編んで思いめぐらすことを黙想と呼びます。

聖書は読まなければ解りません。しかし、ただ読めば分かると言うものでもありません。読みつつ聖書の真の著者からの語りかけに出会って、分かったと言うことになりましょう。

神さまからの語りかけを待ちつつ聖書テキストに向かい、思い巡らせることが黙想です。

右記もお読みください。→釈義と解釈、そして黙想

Twitterに慣れるための手引き

下記はmicrosoft社提供のプレゼンテーション・アプリSWAYで作成されたものです。枠内の画面を上方向にスクロールしてくださると順次ご覧いただけます。

いかがでしたか?

うまくご覧になれなかった方は、続けて下記をご覧ください。

今さら聞けない!!ツイッターの正しい使い方をわかりやすく解説します。Twitter説明サイトです。

共同聖書黙想の楽しさ

聖書を囲む会話としての聖書黙想を共同聖書黙想と呼びたいと思います。

聖書黙想を他の人たちと一緒に行います。先日ある集いでおこないました。その短い短いレポートをご覧ください。→聖書黙想の楽しさ 兄弟を得る

また、イメージとしてご紹介したものがありますので、お読みください。→イメージとしてのソーシャル・ビューイング

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共同聖書黙想、イメージとしてのソーシャル・ビューイング

イメージとしてのソーシャル・ビューイング

目の見えない人の絵画鑑賞、ソーシャル・ビューイングというワークショップがあるそうです。伊藤亜紗著「目の見えない人は世界をどう見ているのか」(光文社新書)に紹介されていました。実に興味深い書物ですが、この本のことはTwitterで知りました。また、著者の他の著書やそれに関連する情報、その後の研究動向についてもTwitterで知ることができています。
話を戻しますが、それはおおよそこのようです。一つの作品の前に集まります。見える人たちの中に見えない人が加わります。見える人が作品を見て説明をしたり、受けた印象などを声にして発します。色彩はどう説明されるのでしょうか。色彩だけではありません。描かれている物の形状や配置、パースペクティブなど難しそうです。工夫を要することでしょう。断片的で、抽象的でもあるそれらの声を聞いて、見えない人は頭の中に作品を思い描くのだそうです。そして、見えない人も声を発し、やりとりが続きます。そのようにして頭の中の作品は何度も描きなおされていきます。それが見えない人の絵画鑑賞ということになります。
さらに興味深いことですが、見える人も見えない人の声を聞くことによって作品に対する印象が変わったり深まったりして、その人の中でも作品が描きなおされるのだそうです。あり得ることだと思います。見える人と見えない人との相互作用がおこります。ソーシャル・ビューイング、なにやら面白そうです。

共同聖書黙想では、参加者はある意味では盲目です。見えないもの同士が聖書に向かい、声を発しあってその相互作用を喜びます。

聖書黙想とは

バイブルリーディングとメディテーションのことです。

聖書を読み、注意深く聖書の言葉と文章に注意を払い繰り返して読みます。そして、そこから心の中に広がる想いや連想を楽しみ、その広がりに身を委ねます。

聖書テキストへと向かい、そこからの想い広がりと自分自身との連関に気付かされつつテキストへと帰ります。そして、さらに想いめぐらすことになります。その循環が聖書黙想、バイブルリーディングとメディテーションです。

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マタイ19章16ー30節

16)さて、一人の男がイエスに近寄って来て言った。「先生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか。」
17)イエスは言われた。「なぜ、善いことについて、わたしに尋ねるのか。善い方はおひとりである。もし命を得たいのなら、掟を守りなさい。」
18)男が「どの掟ですか」と尋ねると、イエスは言われた。「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、
19)父母を敬え、また、隣人を自分のように愛しなさい。』」
20)そこで、この青年は言った。「そういうことはみな守ってきました。まだ何か欠けているでしょうか。」
21)イエスは言われた。「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」
22)青年はこの言葉を聞き、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。
23)イエスは弟子たちに言われた。「はっきり言っておく。金持ちが天の国に入るのは難しい。
24)重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」
25)弟子たちはこれを聞いて非常に驚き、「それでは、だれが救われるのだろうか」と言った。
26)イエスは彼らを見つめて、「それは人間にできることではないが、神は何でもできる」と言われた。
27)すると、ペトロがイエスに言った。「このとおり、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました。では、わたしたちは何をいただけるのでしょうか。」
28)イエスは一同に言われた。「はっきり言っておく。新しい世界になり、人の子が栄光の座に座るとき、あなたがたも、わたしに従って来たのだから、十二の座に座ってイスラエルの十二部族を治めることになる。
29)わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子供、畑を捨てた者は皆、その百倍もの報いを受け、永遠の命を受け継ぐ。
30)しかし、先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる。」

マタイ福音書19章1ー12節

新共同訳聖書です
1イエスはこれらの言葉を語り終えると、ガリラヤを去り、ヨルダン川の向こう側のユダヤ地方に行かれた。
2 大勢の群衆が従った。イエスはそこで人々の病気をいやされた。
3ファリサイ派の人々が近寄り、イエスを試そうとして、「何か理由があれば、夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか」と言った。
4イエスはお答えになった。「あなたたちは読んだことがないのか。創造主は初めから人を男と女とにお造りになった。」
5そして、こうも言われた。「それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。
6だから、二人はもはや別々ではなく、一体である。従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」
7すると、彼らはイエスに言った。「では、なぜモーセは、離縁状を渡して離縁するように命じたのですか。」
8イエスは言われた。「あなたたちの心が頑固なので、モーセは妻を離縁することを許したのであって、初めからそうだったわけではない。
9言っておくが、不法な結婚でもないのに妻を離縁して、他の女を妻にする者は、姦通の罪を犯すことになる。」
10弟子たちは、「夫婦の間柄がそんなものなら、妻を迎えない方がましです」と言った。
11イエスは言われた。「だれもがこの言葉を受け入れるのではなく、恵まれた者だけである。
12結婚できないように生まれついた者、人から結婚できないようにされた者もいるが、天の国のために結婚しない者もいる。これを受け入れることのできる人は受け入れなさい。」

マタイ福音書10章34ー42節

新共同訳です

34)「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。
35)わたしは敵対させるために来たからである。人をその父に、娘を母に、嫁をしゅうとめに。
36)こうして、自分の家族の者が敵となる。
37)わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。
38)また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。
39)自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。」
40)「あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れるのである。
41)預言者を預言者として受け入れる人は、預言者と同じ報いを受け、正しい者を正しい者として受け入れる人は、正しい者と同じ報いを受ける。
42)はっきり言っておく。わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」

口語訳です

34)地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである。
35)わたしがきたのは、人をその父と、娘をその母と、嫁をそのしゅうとめと仲たがいさせるためである。
36)そして家の者が、その人の敵となるであろう。
37)わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない。
38)また自分の十字架をとってわたしに従ってこない者はわたしにふさわしくない。
39)自分の命を得ている者はそれを失い、わたしのために自分の命を失っている者は、それを得るであろう。
40)あなたがたを受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。わたしを受けいれる者は、わたしをおつかわしになったかたを受けいれるのである。
41)預言者の名のゆえに預言者を受けいれる者は、預言者の報いを受け、義人の名のゆえに義人を受けいれる者は、義人の報いを受けるであろう。
42)わたしの弟子であるという名のゆえに、この小さい者のひとりに冷たい水一杯でも飲ませてくれる者は、よく言っておくが、決してその報いからもれることはない」。

Twitterでの聖書共同黙想はどのように行われるのでしょうか?

しづつ書き足していきます。

Twitterを介しての聖書共同黙想(以下「BM」と表記します)とは?

1、教会の交わりの一環として行います。→他の教会の交わり

2、共同黙想とは聖書を囲んで交わす会話とお考えください。→黙想するとは

3、この共同黙想は参加者が一人で聖書と会話をする(黙想する)ことと相まってなされます。

4、BMのための時間を作り出す工夫をしてください。

5、多忙な方も参加していただけます。→忙しいあなたへ

Twitterを介して行います。

1、twitterの使い方が分からない方には、徐々に慣れていただけるようにご案内いたします。→twitterへの手引き

2、twitterを介するので、あなたのフォロワーに読まれる可能性があります。しかし、読まれても差し障りはありません。→BMの楽しさを分かつ

共同黙想に加わるにはどうすれば良いのですか?

1、牧師に申し出てください。→その手続き

共同黙想の手順についてご説明します。

1、司会進行役が聖書テキストを決めて、このサイトに表示してご案内いたします。そこにはテキストに関する必要最小限の知識を添えることもあります。

6、参加者はテキストを読み、その手触り感を、リプライ(返信)してください。急ぎません。案内が届いて、できたら1、2日以内に、お好きな時間にリプライしてください。テキスト中で気になった言葉や、理解するのに難しさを感じたこと、日常生活との結びつきを感じたことなどをご紹介ください。

7、参加者のリプライを読み、改めて各自がテキストを読み直します。そして、ご自分の新たな感想をリプライします。リプライできないときは、「パスします」とリプライしてください。

8、正しい解釈は何かという議論はしません。聞き合うことに徹したいと考えています。ただし、司会進行役が会話を促すことはあります。→釈義と解釈、そして黙想

9、道草を楽しむように、テキストの中を歩き回り、のんびりと散策しつつ会話を続けます。

10,適当な時に、進行役が会話を閉じますので、テキストとの会話(黙想)は各自でお続けください。

ツィートするにあたっては以下のことに、ご注意ください。

  1. 素直な感想を。気取ったり、背伸びする必要はありません。
  2. テキストに向き合って、できるだけ、自分自身に語りかけられていることをツィートしましょう。
  3. 自分のこととは言え、他の人に知られたくない個人情報は控えてください。
  4. 他の人のツィートに対しては批判したり、ダメ出し発言は控えてください。
  5. 思いがけない発言に出会いますが、それはBMの醍醐味です。