共同聖書黙想、イメージとしてのソーシャル・ビューイング

イメージとしてのソーシャル・ビューイング

目の見えない人の絵画鑑賞、ソーシャル・ビューイングというワークショップがあるそうです。伊藤亜紗著「目の見えない人は世界をどう見ているのか」(光文社新書)に紹介されていました。実に興味深い書物ですが、この本のことはTwitterで知りました。また、著者の他の著書やそれに関連する情報、その後の研究動向についてもTwitterで知ることができています。
話を戻しますが、それはおおよそこのようです。一つの作品の前に集まります。見える人たちの中に見えない人が加わります。見える人が作品を見て説明をしたり、受けた印象などを声にして発します。色彩はどう説明されるのでしょうか。色彩だけではありません。描かれている物の形状や配置、パースペクティブなど難しそうです。工夫を要することでしょう。断片的で、抽象的でもあるそれらの声を聞いて、見えない人は頭の中に作品を思い描くのだそうです。そして、見えない人も声を発し、やりとりが続きます。そのようにして頭の中の作品は何度も描きなおされていきます。それが見えない人の絵画鑑賞ということになります。
さらに興味深いことですが、見える人も見えない人の声を聞くことによって作品に対する印象が変わったり深まったりして、その人の中でも作品が描きなおされるのだそうです。あり得ることだと思います。見える人と見えない人との相互作用がおこります。ソーシャル・ビューイング、なにやら面白そうです。

共同聖書黙想では、参加者はある意味では盲目です。見えないもの同士が聖書に向かい、声を発しあってその相互作用を喜びます。

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